4『再会・マーシア』



 酒はいろいろな目的で飲まれる。
 本当の感情を引き出してくれるからだ。

 人の本音はしばしば他人を傷つける。
 だから人は普段本音を表に出さない。

 だが人間もやはり動物、真の自分を表に出したい事もある。

 嬉しい時には祝い酒、悲しい時には忘れ酒、酒を飲めば無礼講。

 酒は人に自分を受け入れさせる。
 棘のある本音を柔らかい膜で包み込んで。

 しかし気を付けた方がいい。
 その膜は時に人の心を荒れさせてしまうから。



「いらっしゃい」

 慣れた挨拶で薄暗い店のカウンターの中で店主がその客を迎える。

「準備中……じゃねぇよな?」と、その客、ファルガールは店内を見回して言った。

 そう思うのは仕方がないほど、店内には誰もいなかった。
 奥はカウンターになっており、人二人通れる奥への通路の両脇に二つずつ、やはり砂のレンガで出来た丸テーブルが置かれていた。それぞれ四つずつ周りに座る為の空樽が置いてある。座っている者は誰もいなかった。

「さっき、店先で決闘があったんですよ。知ってます?」
「ああ、見てたよ」と、答えながらファルガールはカウンターの席に座る。
「その前の前哨戦を店内でやられましてね。今まで店閉めて片付けてたんですよ。やっと再開出来たところです」
「そりゃ災難だったな。だが、決闘のとばっちりは覚悟の上だろう?」

 店主はこっくりと頷いて、尋ねた。

「何にします?」
「カルにしよう」

 その注文に店主は眉を潜めた。
 カルという酒はあるにはあるが、ただ安く、ただ強いだけで、あまり旨いとは言えないし、同じ値段でもっと旨い酒はたくさんある。
 しかもカルはあまり知られていない酒なので、注文する者は滅多にいない。もっぱらカクテルの一材料として他の酒と混ぜて強くするのに使われる。
 しかし注文を受けた以上、出さないわけにはいかない。
 一応、確認をしてそれからボトルをとって、グラスに注ぐ。

「どうぞ」

 ファルガールはそれを受け取ると、目の高さに持ち上げて窓から入って来る淡い光にかざす。その酒を通した世界はセピア色だ。
 それを少しの間眺めると、一口、口に含む。
 その時、唐突に、だが静かに扉が開いた。
 そして女性が入ってくる。高い背に複雑に編んだ黒い髪、紫色の瞳と薔薇のように赤い唇が妖艶な印象を与える美女だ。

「いらっしゃい」

 ファルガールの時と同じ店主の挨拶。
 ファルガールはそこからカウンターに歩いてきたが、彼女はそうしなかった。他の席に付いたわけではない。
 そこから動かなかったのだ。
 反射的に振り向いたファルガールと目が合った瞬間から。
 その美女、マーシア=ミスターシャは微笑みをその顔に浮かべ、ゆっくりとカウンターに歩いてくる。

「隣、いいかしら?」
「……ああ」

 マーシアは、やはりゆっくりした動きでファルガールの隣に座ると、店主にフレスニーを注文した。
 そしてカウンターに体重を掛け、ファルガールの顔を覗き込む。

「久しぶりね、ファルガール。最後に手紙をくれてから十年。あなたは一体どこで何をしていたのかしら?」
「十年?」

 問われたファルガールはしばし指折り数える。

「ああ、もうそんなになるのか」

 そして、彼はカルを一気に飲み干した。
 それを見た店主は目を丸くして驚いた。
 何しろカルの強さと来たらどんなに酒の強い人間でもそうそう一口以上は飲めるものではない。
 以前も自分のうわばみ振りを見せる為にカルを一気飲みしようとした無謀な客がいたが、結局その場で卒倒してしまった。
 しかしファルガールは平気な顔で、「おかわり」と、グラスを突き出してくる。

「お酒の好み、変わったのね」

 ファルガールが少し視線を動かし、二人の視線が重なる。
 ファルガールはしばらく彼女の瞳を見つめていたが、店主に酒を差し出されるとすぐに視線を外した。
 そして二人はかちんとグラスを合わせた。

「お前も変わったみてぇだな」
「あら、どんな風に?」
「そうだな」と、ファルガールは思考を巡らし、表現する言葉を探す。

「まず、色気が少し抜けたな。それに前からお転婆だったわけじゃねぇが、やけに落ち着いてやがる。年を取ったからか?」
「そうかしら、どっちにしても女性に色気が無くなったとか、年をとったなんて失礼ね」と、マーシアが口をへの字に曲げて見せる。
 そんな彼女に、ファルガールは笑い声を上げた。

「違いねぇ。でも色気だけの女ってのは好かねぇよ。カルクの野郎はどうしてる?」
「学校の中はいろいろ変わったけど、あの人だけよ。変わってないのは」
「……だろうな」

 ファルガールはグラスを持ち上げ、それに透かしてマーシアを見た。
 セピア色の世界の彼女は、彼に十三年前を思い起こさせる。


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 十三年前のある日。
 それよりさらに二年前、つまり今から十五年前にファトルエルの大会で優勝したファルガールはその実力を買われて、魔導研究所の施設の一つである魔導士養成学校の教師をしていた。
 しかし教育方針は各教師にはまかされない。学校の決めた方針に従って修行カリキュラムをこなさねばならない。
 その修行カリキュラムの狙いを生徒に伝える事、生徒ごとに成績をつける事が教師の仕事だった。
 だが、その修行カリキュラムは全員全く同じカリキュラムである。
 ファルガールは個人によって適した修行スタイルがあるというのが持論だったので、もちろん学校側とは即、折り合いが悪くなった。

 ファルガールは学校側の指示を全て無視し、自分の持っている生徒達一人一人に別々の修行カリキュラムを考えてやって、生徒を指導していった。
 ファルガールの生徒達はどんどん強くなっていった。それが教師・ファルガールの命綱である事実だった。このままだと、学校側は考えを直さなくてはならない。

 ファルガールの指導方法は、実は前から考えだされていた事なのだが、生徒一人一人、別々の修行カリキュラムを考えるのは非常に手間のかかる事である。
 その上、彼の提案に従って、教育方針を変えると、刃向かってきたファルガールに全面降伏するという、学校側の面子に関わる事になるので、学校側は先ずファルガール潰しに本格的に乗り出した。
 修行場に罠を仕掛け、生徒に傷を追わせたのだ。
 学校は生徒の怪我を理由に、ここぞとばかりにファルガールを責め立てた。
 そしてファルガールは教師の職を追われる事になった。

 学校長室のドアを閉めて出てきたファルガールにマーシアが駆け寄った。
 が、ファルガールはそんな彼女に何も言おうとせず、ただすれ違おうとした。
 マーシアはすれ違い様に振り返って言った。

「辞めるの?」
「ああ。何でも責任てヤツを取らなきゃならねぇらしい」

 その言葉は鋭い棘が突き出し、これ以上ないまでに侮蔑が込められていた。

「でもあれは罠だって分かり切ってるじゃない」
「罠だった、なんて連中が言うはずねぇだろ。安全確認を怠った俺の責任だとよ。それにこれ以上続けるなんてこっちから願い下げだ」

 それだけ言うと、ファルガールはまた歩き始めた。もうここには一分一秒でもいたくない、とでも言うように。
 そしてまたピタリと足をとめた。

「どうしたの?」

 マーシアに尋ねられたが、ファルガールはしばらく間を置き、彼女に背を向けたまま答えはじめた。

「マーシア、俺はな、子供の頃からファトルエルで優勝するのが夢だった」
「……?」

 何が言いたいのか分からず、マーシアは黙って首をかしげる。

「夢を叶えるってのは残酷なモンだよな。それからする事が無くなっちまった。で、取り敢えず、やってきた教師の話に乗った訳だ。俺はしばらく子供に魔導を教えていた。それで、そいつらがどんどん強くなるのが目に見えて、魔導を教えるのが楽しくなってきた。それで、もう一個、夢を持つようになった」
「へえ、何かしら?」

 マーシアはそれを話している間に、言葉には棘が無くなり、ファルガールの雰囲気が若干柔らかくなってきていることを見のがさなかった。

「俺の育てた魔導士がファトルエルの大会で優勝する事だ。だから俺は、魔導の理論について勉強し直して、どう育てたらいいかと考えるようになった。で、御存じの通りの今の俺の持論に行き着いた訳だが、ここじゃどうもそれは出来ねェらしい」

 ファルガールの言葉に再び棘が出てきた。

「だから俺はここを出ていく。他で、生徒を見つけて、俺のやり方で育てて、ファトルエルで優勝させる。……そうだな、二、三年は生徒探しに使うとして、育てるのに十年は欲しいな。そう、十三年後の大会あたりには一度挑戦してみる」

 マーシアはそれ以上、何も聞いたり、言ったりしなかった。一緒に歩いていく内に、二人の距離が離れ、やがて彼女は足をとめて、ファルガールの背中を見送った。



 学校の入り口のところには待ち伏せていたようにカルク=ジーマンが立っていた。

「どうしても行くのか?」

 ぶっきらぼうに、そして率直に訪ねる。
 ファルガールは一瞬立ち止まって答えた。

「ああ。俺はお前みたいに器用じゃねぇからな。ここの水には合わねぇよ」

 実はカルクもファルガールのとっていた一人一人、個別に指導方針を考えるやり方をとっていた。
 ただし、彼の場合、その事を隠し、見えるところでは非効率である事は分かっていたが、学校側の考えたカリキュラムをこなしていたので、学校側に睨まれる事はなかった。

「少しの間我慢をしてくれれば、学校側と掛け合ってこれを正式な方針にしてみせる」
「無理だな。俺やお前、マーシアはともかく、他の面倒臭がりは納得しねぇよ」
「それは一人の教師に十人もの生徒がついているからだ。マンツーマンでやれば、むしろ今までより遥かに楽になる。これならみんな納得するだろう。だから……」と、カルクは言いかけたが、止めにした。

 ファルガールの様子は全く変わらない。つまり、その気は全くない、ということだ。

「すまねぇな。そうなっても俺の気持ちは変わらねぇよ。元々一所にジッとしてるタイプじゃねぇんだ」

 そして彼は清々しい顔で魔導研究所の建物を見上げた。

「しかしここでは二年もった、我ながらよくいられたと思うぜ」
「ファルガール……」
「じゃ、見送りありがとよ。マーシアにはよろしく言っておいてくれ。たまにだが、手紙書くってな」

 そしてファルガールは魔導研究所に背を向け、二度と振り返る事もなく去った。


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 からり、というグラスの中の氷の音が、ファルガールを現実に戻す。彼はグラスのカルをぐいっ、と飲み干し、呟いた。

「相変わらず不味い酒だ」

 店主がぴくりと表情を変える。
 だが、ファルガールは他のどんな鮮やかな酒の色よりカルのセピア色が一番好きだった。

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